弊社の歴史 その9

業態転換した初期の昭和40年代後半から50年代にかけて請負作業の中で大きなウェートを占めていた作業の一つに緑化作業があります。

 

当時は公害の問題が注目され始め、工場内に緑地を一定割合作ることが求められるようになってきていました。

新たな敷地の増加や設備の増設に伴い必要となる緑地や、工場敷地と外部の間に設ける緑地帯の造成が次々に行われ、弊社の作業も増加していきました。

最盛期には弊社の従業員も50名を超えた時もありました。

 

現在は樹木が大きく育ってうっそうとしている北側の緑地帯は、日新製鋼(当時)が所有していた奈切の山から一本ずつ掘り出して運搬し植え付けた物だそうです。 

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また、ちょうど今頃のGWが見頃となる正門内のツツジの植え込みも、苗を買い付け植え付けを弊社が行った場所です。 

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変わったところでは、年始の講話等でステージ壇上に飾られる松の盆栽も弊社が四国の植木市で買い付けをしてきて年間の管理をしていました。

 

その後、新たな緑地の造成が落ち着くと徐々に仕事も減っていき、作業として最後まで残っていたのはラグビー場の維持管理でしたが、その作業もラグビー部の廃部と共になくなりました。

 

前社長の父は、この緑化作業のため造園技能士の資格を取ったそうです。

それを見せたい父は、叔父が家を建てた時に「ワシがやっちゃる!」と無理やり買って出て庭の石垣を勝手に組んだそうです。

その斬新な石垣は今でもそこにあります。