弊社の歴史

弊社の歴史 その9

業態転換した初期の昭和40年代後半から50年代にかけて請負作業の中で大きなウェートを占めていた作業の一つに緑化作業があります。 当時は公害の問題が注目され始め、工場内に緑地を一定割合作ることが求められるようになってきていました。 新たな敷地…

弊社の歴史 その8

水産業から構内作業へ業態転換した当初は、まったく畑違いの作業で戸惑うことも沢山ありました。 例えば、作業の時に履くゴム長靴一つとっても失敗がありました。 油の多い現場で作業すると、同じ場所で作業する他社の作業者は普通に作業しているのに、飯田…

弊社の歴史 その7

昭和40年代にはいると、瀬戸内海の沿岸は工場の進出が進み、旧新南陽地区でも沿岸部分の塩田があった土地に多くのコンビナート企業が立地することになりました。 漁業と水産業を営んでいた弊社では、比較的順調な経営状態を維持していましたが、経済発展に…

弊社の歴史 その6

この頃、セグロイワシを獲ってイリコを作る既存の事業に加えて、時期により油がのりすぎてイリコの原料に向かないセグロイワシを魚の養殖場向けのエサとして販売したり、冷凍設備を導入してサバの冷凍品の製造を始めたり新しいことをいろいろと試しました。 …

弊社の歴史 その5

昭和40年に大学を卒業した父が入社しました。 父は大学で柔道部に入っていて、その時の稽古は、とても過酷なもので父曰く「大学の柔道の稽古と比べたらどんなことでも我慢できる」とよく言っていました。 そんな父にとっても漁師の仕事は、機械化もあまり…

弊社の歴史 その4

イワシ網事業に進出した直後の昭和23年に事業を会社組織にし、飯田水産有限会社を設立しました。祖父の言葉を借りると「水産業で会社組織にしたのは大洋漁業が一番で、うちが二番。」だったそうです。大洋漁業は、横浜DeNAベイスターズの前身の大洋ホエー…

弊社の歴史 その3

戦前からの沿岸荷役事業に加えて、戦後に新たに始めた事業「イワシ網」。これは、山口県ではセグロイワシといわれるカタクチイワシを獲り、炒り子(煮干)を作る事業です。船に乗って作業するという部分では、沿岸荷役の仕事と共通しますが、漁業については…

弊社の歴史 その2

弊社の創業者で私の祖父は、戦前から戦後しばらく、木造の汽帆船で九州から炭鉱の石炭を山口県の周南地域に運搬する沿岸荷役の仕事をしていました。戦争中、周南地域は空襲によって、その多くが被害受けていましたが、祖父の船は被害をまぬがれ、戦後も事業…

弊社の歴史 その1

今、弊社は請負作業をメインの業務としていますが、戦前には汽帆船を使って沿岸荷役の仕事をしていました。汽帆船の船長をしていた祖父は、徴兵で海軍に配属され訓練で遠洋航海に出て何ヶ国も旅行したそうです。当時の自慢話で練習艦の操船を褒められ、「山…