弊社の歴史 その7

昭和40年代にはいると、瀬戸内海の沿岸は工場の進出が進み、旧新南陽地区でも沿岸部分の塩田があった土地に多くのコンビナート企業が立地することになりました。

 

漁業と水産業を営んでいた弊社では、比較的順調な経営状態を維持していましたが、経済発展にともなって海の環境も徐々に悪化し漁獲量が減少傾向や、生活習慣の変化による水産物の消費減など将来の見通しが不安定になってきている時期でした。

 

そんな時期に請負作業のお誘いをいただいたのが製鉄メーカーの日新製鋼(株)でした。

 

昭和33年に現在の場所で操業を開始した日新製鋼(株)は設備の増設が続いていて、新たに発生する作業も沢山あり、地元の多くの企業に仕事を発注するようになっていました。

弊社でもこのお誘いを受けて、水産業の会社から構内作業を請け負う会社へと業態転換することになりました。

また、同時期に日新製鋼構内で操業を始めた日本磁力選鉱(株)からもお仕事をいただくことになり、その後も長くお付き合いをしていただくことになります。

 

そして業態転換にともなって、昭和45年11月に「飯田水産有限会社」から「飯田興業有限会社」に変更しました。

 

ちなみに、この時の業態転換のことを先代社長の父は「陸(オカ)に上がった。」と言います。

沿岸荷役や海軍での生活、戦後の水産業と常に海に関わって生きてきた先々代の祖父は、「潮のついてない仕事はしない。」と言って、飯田興業に社名変更後はすぐに社長を父に譲り、以降は会社の経営に関わらなかったそうです。