弊社の歴史 その4

イワシ網事業に進出した直後の昭和23年に事業を会社組織にし、飯田水産有限会社を設立しました。

祖父の言葉を借りると「水産業で会社組織にしたのは大洋漁業が一番で、うちが二番。」だったそうです。
大洋漁業は、横浜DeNAベイスターズの前身の大洋ホエールズのオーナー企業もしていた大企業です。
その大洋漁業に次いで会社組織にしたことは祖父のちょっとした自慢だったようです
当時、大洋漁業は、同じ山口県の下関にあったので、日本で二番ではなく、山口県で二番目と言うことだったのでしょう。

飯田水産の船は、沿岸荷役の汽帆船もイワシ網の漁船も船名は「大黒丸」だったそうで、小学生のころ地元・福川の港で遊んでいると「大黒丸のところの倅。」と地元の漁師さんに呼ばれたことが記憶にあります。

当時の福川の男の人たちは、みんなお酒を飲むことが好きで、「福川で酒を飲まんのは、地蔵様だけ。」と言われていたそうです。
特に漁師は、海が時化て白波が立ったら漁を休んで呑んで、漁が不漁でも験直しと言っては呑んで、大漁なら祝いで呑んで、漁に三日続けて出たといっても呑んで、とにかく何かにかこつけては呑んでいた様です。
おかげで、漁師町の福川は景気が良く、料亭や芸者の置き屋、映画館、劇場まであって賑やかな街だったようです。

昭和30年代後半になり、祖父が漁業組合の仕事や公職に就いたため、自分の会社以外の仕事が忙しくなりました。
そのため、沿岸荷役の事業と船を、実際に作業を任せていた人に譲りました。
今風に言えばMBO(マネジメント・バイアウト)です。

以降は、水産業にしぼって会社を運営することになりました。