弊社の歴史 その3

戦前からの沿岸荷役事業に加えて、戦後に新たに始めた事業「イワシ網」。
これは、山口県ではセグロイワシといわれるカタクチイワシを獲り、炒り子(煮干)を作る事業です。

船に乗って作業するという部分では、沿岸荷役の仕事と共通しますが、漁業については素人でのスタートでした。

最初に取り掛かったのは、当時イワシ網の先進地であった、兵庫県の明石に船の造りや漁の仕方を勉強しに行くことでした。

明石から戻ると、明石で学んだ内容を取り入れた木造船を地元の造船所に発注しました。
船に取り付ける機械は、自分たちのアイデアを盛り込み、近所の鉄工所で作たそうです。

当時、この辺りで行われていたイワシ網は「巻き網」といわれる漁で、二隻の網船で網を引き、魚の群れを網で囲い運搬船にすくい上げる方法でした。

大漁の時には、運搬船は網船と港の間を何往復することもあり、気温の高い時期には、取ったイワシが痛むのを防ぐために釜を積んだ釜舟を出して海上でイワシを茹でることもあったそうです。

イワシ網は複数の船や、炒り子を作る製造設備が必要な事業なので、新規に参入するには、大きな投資が必要な事業でした。
当時の祖父としても思い切った新規事業だったと思います。

事業の開始後は、漁獲量も充分にあり、炒り子の消費量も伸びていた時代だったため事業としては、順調だったようです。